00.「無色」




その日、"世界"が終わり新たな"世界"が始まった。



「覚悟はしてたけどさ、まさかこんなことになるとは思わなかったよな」

 白いマントに身を包んだ青年が、目の前のこちらに背を向けた黒いマントの青年に呟いた。白いマントの青年の表情は、悲しみを滲ませている様で、しかしどこかに喜びを含ませているようだった。
 何も無い世界――そういうと、どこか暗い闇をイメージするが、ココはそのような場所ではなかった。間逆の白を思わせる空間だが、現実は違う。透明という名の"無"がそこにはあった。いや、"ある"という存在を示す言葉も異質だ。静かでいて、どこか騒がしい場所。元々この世界には、人間が知りうる全てが存在していた。人・動物・植物・大気・その他の有機物に無機物…それらの魂がどこかに消え去り、世界を構築していたものが崩れ去った。そんな"ゼロ"の定義すら危うい世界。
 残っているとすれば"記憶"だけだ。様々な物が持つことの許された魂の名残。今もまだその名残が、自分たちの五官に囁き続けているようだと、白いマントの青年は思った。それは、本当に囁かれているのか、それとも自分の心の底から湧き上がって来る罪悪感からなのかはよくわからない。全てを崩してしまった罪が、これらの囁きを聞くことなら受け入れられる。青年はそう思っていた。そんな願望は、持てば持つほど脆く風化していく。もう、自分の思い通りにはならないのだ。

「好きだった大切だった壊したくなった」

 どこを見渡しても、見えるのは…見えると知覚できているものは何もない。わかっているけれど認めたくなくて、青年は辺りを見回し独りごちた。何か大切なものを見つけた時、それさえあれば自分は生きていけると思ったことがあった。思っている人を何人も見てきた。でもそれは嘘だと今は感じる。"世界"が無ければ意味を感じさせてはくれない"大切"という感情。目の前で、こちらを見ようとしない黒いマントの青年がいたとしても、"世界"が無ければ…。

「今も…好きなんだ…」

 泣けない。きっと涙なんてものは、一番に"世界"から無くなってしまったんだ。"世界"が崩れる時、存在する物たちが悲しまなくてもよいように。"神様"は最期に最大級の幸いを与えたのだ。

「それは違うよ」

 真っ黒で滑らかな髪を靡かせて(風などないはずであるのに)、黒いマントの青年が振り返って言った。小柄な彼は、白いマントの青年を見上げるようにして話し始めた。

「神が幸いを与えるわけがない。あれは、そんな"人"のことを考えるようなモノじゃない…君が泣けないのはきっと、それほどまでの悲しみを知らないからだ」
「…この、俺の心に渦巻く感情は悲しみじゃないってことか?」
「さぁ。ただ、君は、自分はバカみたいに強い心を持っていると思っているみたいだからね。人前で泣けないんじゃない?」
「お前しかいないのに?」
「僕だからだよ。僕は君の涙なんて見たことないし、見たいとも思わない(君が泣いたら、さぞかしぐちゃぐちゃな顔になるんだろうね)」


「…わかんねーや」
「だろうね。でもそのうちわかるんじゃないかな。…そろそろだからね」
「えっ?」

 白い青年が聞き返すと同時に、"無"の空間に光が差し込んだ。輝かしい、全てを覆いつくすような強烈な光だ。白い青年は驚愕に表情を染め、しかし黒い青年はその状況がさも当然のことのように受け入れていた。

「何だよこれ!?どうなってんだ!?」

 広範囲に渡った光が突如凝縮し始め、白い青年を包み込み始めた。白い青年への光があまりにも強いため、黒い青年に影ができ、周辺が暗く感じ始める。自分だけに何故このようなことが起こっているのかわからず、そして、黒い青年との間に感じる隔たりを認識し、白い青年は焦った。黒い青年の名を呼ぼうと口を開けかけた時、黒い青年が穏やかに話し始めた。

「君はこれから遠い場所へ行くんだよ」
「どういうことだよ!!」
「僕がそう決めたんだ。君はこんな所にいちゃいけないんだ」
「何言ってんだ!約束したじゃねーか!!俺はお前と…」
「…永遠なんてあるわけないじゃないか。永久の命を与えられたとしても、行為そのものに永遠なんてありはしない」
「お前…まさか!?」
「"忘れる"んだよ全て。それが一番の幸いだ。自分が何者かであったことも、自分が何をしてきたのかも…僕のことも」
「…ッ!!」

 光に厚みが増し、白い青年の言葉はもう、黒い青年には届いていなかった。

「僕の存在、その理由、全てを表す名前…全部…忘れろ」

 再び光がその空間を包み込み、次の瞬間には白いマントの青年は消えていた。黒い青年は、まだそこに白い彼が存在しているかのように意志を持って見つめると、目を閉じた。何も見たくないと目を閉じたのに、しかし目蓋の闇に映るのは、何かを叫ぶ白い彼の姿。

『俺は絶対に忘れない!!俺はお前を見つけ出す!!』

 彼の必死の形相。"涙"さえ流れていた。「(ほら、涙はまだ消えていないじゃないか)」そんな姿に希望を持ってしまいそうになる。無駄だというのに。

『待ってろよ!!"ヒバリ"!!!!!』

 黒いマントの青年――ヒバリは目を開けた。もう何も映らなくなった"世界"だけがそこにあった。恐怖はなかった。だけど…

「君が忘れてしまっても、僕はきっと忘れないよ…“ヤマモト”…」

 淋しさと悲しみに包まれる中、ヒバリは意識を失った。残された物は、一滴の暖かな涙だけだった。