短編 「交差点」
「ちょっと買い物付き合ってくんね?」
昼休み。山本はいつものように応接室を訪ねた。山本が行く頃には、雲雀はすでに昼食を終えていることが多い。それは雲雀が弁当を食べることが早いからというわけではない。山本がツナや獄寺と食べ終えてから来るからだった。だから、山本は雲雀に話かけることに専念できる。ただし雲雀が話をしてくれるというわけではないのだが。それでも山本には、有意義な時間であった。
今日もいつもの通り、山本は他愛のない話を始めた。学校のこと、家でのこと…話のネタは尽きない。山本が一方的にしゃべり、雲雀が聞く。雲雀はいつもほとんど表情を変えない。他人から見れば会話が成立していないようにも思えるが、当人たちにその認識はない。雲雀も、何かを求められれば言葉は少ないかもしれないが、反応をするし、山本もそれを感じた上で話をしている。ただ、山本は、どれほど雲雀からの反応が薄くても…いや、反応がなくてもしゃべり続けるかもしれないけれど。とにかく、そんないつもの会話の中、山本は一つの提案を雲雀にしたのだ。
「放課後にさ。今日は部活もねーから、色々行きたいところがあるんだよ」
「なんで僕が、君に付き合わなくちゃいけないの」
「それに僕には、風紀の仕事があるんだよ」と、理由を付け足した。雲雀だって、絶対に行きたくないというわけではなかった。雲雀としても欲しいものがあったわけだし、何より山本からの誘いなのである。それでも、風紀の仕事をしないわけにはいかないし、雲雀は人ごみが嫌いだ。それに、素直に頷くことができない心が相俟って、山本の提案を拒むのである。
「一日くらい休んだって誰も文句なんてねーよ。雲雀はいつも頑張ってるんだからさ!」
頑張っている事が、休んでいい理由になるんだろうか。そんなことを思いながら、しかし雲雀はいつの間にか山本のペースに引っ張られていることに気づく。自分の思うままに事が運ばないことに、苛々することがある。そういう時は決まって、外回りに行くのだが…。どういうわけか、常と山本に乱されるのとは訳が違うようだ。もちろん、苛々し機嫌が悪くなることはそうであるのだが、そうは言っても結局のところ、山本の思うとおりに動いてしまうのだ。今までとは違う。勝手の違うことなのだ。
山本の提案をいつまでも拒み続けることなんて、きっと誰にもできないだろう。こういう場面に陥った時、雲雀はいつも頭の片隅で考えた。それはとてつもなく、納得のいかない答えなのだけれど。それが山本なのだと、いつしか諦めのようなものができてしまっていた。
「なぁ、いいだろ?」
黙ってしまった雲雀になおも言い募る山本。そんな山本をチラッっと見ると、雲雀は小さく溜息をついた。今回も山本の粘り勝ちのようだ。
放課後。応接室前の廊下に響く足音。山本は、いつも以上の早さで、いつも以上に浮かれた足取りで、いつも以上に締まりの無い顔で、応接室にやってきた。雲雀はそんな山本を見て大きな溜息を吐いたが、それを気にするそぶりのない山本に連れられて、学校を後にすることとなった。
学校から離れ街中に進むにつれ人が多くなっていく。時間は午後4時頃。学校帰りの学生たちが集まりだす時間である。また、夕食の買い物をする主婦たちも目に付く。そんな様々な理由により、人ごみができるのは当然のことだ。しかし、雲雀はその当然が本当に嫌いだった。人が多いと、普通に歩くのも大変になる。身体の一部がぶつかったり、行きたい方向へ行くことが難しかったり。また、密度が大きければ、熱気も凄い。化粧品やヘアワックスなどの臭いも篭ってしまって仕方が無い。気分が悪くなりそうだと雲雀は思った。
「(なぜ僕が山本武と一緒にいるんだろうか)」
雲雀は、自分のことなのにそれが不思議で仕方が無かった。群れることが嫌いで弱いヤツが嫌い。山本は、その雲雀的嫌2代要素を備えている、と雲雀は考えている。普通ならば、知り合うこともない2人だと感じていた。それなのにどういったわけか、こうして無理矢理とはいえ、一緒に買い物にでかけている。本当に嫌なら、殴り飛ばしてでも拒絶の意を示せばいいのだ。常ならば、雲雀はそうしている。しかし、彼にはそれができない時がある。考えられないことだ。
目の前の信号は赤。隣には山本。そんな立ち位置が雲雀は気に入らなかった。
「(もしここで僕がいなくなったらどういう反応をするんだろうか)」
人ごみに紛れてしまえば、姿を消すことは雲雀にとって容易いことだ。この人の多い場所で、誰かと一緒にいる。雲雀の中でありえない状況だ。
信号が青になった。ふとそんなことを考え、雲雀は立ち止まった。周りの人々が、そして山本が横断歩道を渡っていく。このまま、自分が立ち止まっていることに気がつかず、横断歩道の向こうまで歩いて行けばいいのに。この一種の賭けめいたものを、雲雀は実行した。本当に、本当に、雲雀は気づかないで欲しかった。振り向くことなく、山本が横断して行ってしまえばいいと思った。だけど、心のどこがで気づいて欲しいと思っている。その証拠に、雲雀は今も、山本に背を向けることなくその場に立ち尽くしているのだ。雲雀の目に見えるのは、アスファルトの道路と人々の足だけだ。
「雲雀」
名を呼ばれた。目の前には山本が居た。信号はまた赤になっていた。
「どうしたんだ?もしかして体調悪かった?」
山本に出会ってから、雲雀は心の中でいくつもの賭けをした。山本を試す言動もした。いつも、常の雲雀が思うような行動を、山本が行ってくれると賭けていた。しかしどうだろうか。山本からの答えはいつも、雲雀の心の奥底にある答えに繋がっていた。今回も同じだった。山本は横断歩道を渡り終える前に、雲雀に気がついた。
「別に…僕が群れるの嫌いなの知ってるだろ?」
思ったとおりにならない山本の行動に、そして自分が奥底で感じた答えに辿り着いてきたことに。そのことに少なからず動揺した雲雀は、適当な答えを返した。
「そっか。人ごみって歩きにくいしなー。んじゃこうしよーぜ」
山本はそう言うと、雲雀の隣に並んで、雲雀の左腕を取った。また人の流れができて、山本はそれに習って歩き出した。いつの間にかまた信号が青になっていたのだ。雲雀は山本に引っ張られるようにして、横断歩道を渡り始めた。
左腕から伝わる力は、とても緩いものだ。しかし、決して離そうとはしていないように、雲雀には思えてならなかった。そして自分も、それをここで振りほどこうとは思わなかった。力以外のものが、雲雀を拘束している。雲雀にはそれが何かわからなかった。
「こうするとちょっとは歩きやすいだろ?」
そう言って笑う山本に、雲雀は何かを為すすべも無く、そっと目線を上へとあげた。群れる人の頭以外に、山本の笑顔とその向こうに青い空が見えた。